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シンママの話

「あの日の決意」 転機となったご縁と息子の今 〜後編〜

前編に続き、「シンママライフ」を運営する「なでしこTOKYO」代表の宮内がインタビューします。

お子さんを身ごもった時に、交際していたパートナーが既婚者であったことがわかったKさん。
出産からしばらくは、お子さんを2人で頑張ってきましたが、実家に戻ってご両親と同居することになります。

ご両親と一緒であれば何かと心強いですよね。
地元に帰ったことで、これまでと環境が変わりましたか。

貿易会社を経営している社長さんに出会って、身の上を話したんです。
すると、社長さんが「母親は、子どもが寝る時には横にいてあげるもんだ」と仰って、私をその会社に雇ってくださったんです。
その会社で働き始めてから、私の人生は音を立てて変わりました。様々なことが好転し始めることが目に見えて分かりました。

貿易の仕事なので英語は必須なのですが、私は英語が話せませんでした。英語を含め、とにかく必死で働きました。
経理のお手伝いをしながら、海外出張にも連れて行ってもらい、沢山のことを吸収させていただきました。
社内に同い年のシングルマザーの方がいて、その方にも良くしていただきました。

大きな変化だったんですね。

人生って、こんなことがあるんだなと思います。当時は、金銭的な面はもちろん、メンタル面もかなり疲弊していて、息子のことは大切である反面、とても追い詰められていました。
「母子寮に入って、もう一度人生を立て直す準備をするしかない」とまで考えていたぐらいですから。

なので、縁って本当に偉大だなと思いました。
1つの仕事のご縁が繋がったことによって、人生そのもののご縁が繋がったような思いがしたものです。
息子にも、お友達との縁は大切にしなさいと言っています。

その後、息子さんとの関わり合いは?

野球に夢中な子どもに育っていました。飲みに行く時でもどこへでも連れて行き、一緒に過ごすようにしていました。
父親のことに関しては話していなかったので、幼稚園などで「お父さん」と聞くと、お父さんという名前の人だと思っていたみたいで、両親がいるということの認識もなかったんだと思います。

小学生の時、父の日に「なんでお父さんがいないの?」と初めて聞かれました。
とっさに「亡くなったのよ」と答えると、一緒にいた友達から「お墓はどこなの?」と聞かれました。
あまりにストレートな質問に困ってしまって、20歳になったら話をしようと息子に話しました。

息子は何かを察したのか、それ以来「お父さん」について話をしてくることはありませんでした。
でも、お父さんの存在を知らないことで、本当はすごく辛い思いをさせたのだと思います。それに、私の「辛い思いをさせないように」と敏感になっていた心持ちが見えてしまっていたかなと思って。

Kさんは20歳で話をすることに決めたんですね。今、息子さんはおいくつですか?

28歳になりました。
8年前、20歳になったある日、お父さんのお話をするために私から切り出しました。
私の部屋で正座して、父親には家庭を持っていることなどを全て話しました。
そして、「私には父親がいなかったことはないから、あなたの気持ちをわかってあげられ なくてごめん」と言いました。
「あなたが会いたければ父親を探す」とも提案しました。

息子は泣きもせず、「僕はお母さんだけでいいです。会いたくありません。」と言ったのです。
その言葉を聞いた私の方が、涙を堪えきれませんでした。
それから今日まで、息子から「お父さん」という言葉は一度も聞いていません。

息子さんは強い方に育ったんですね。

強い面もあるかもしれないですが、やっぱり、どこかに弱さもあると思います。はっきりとは言えないのですが…
反抗期は、人並み以上にめちゃくちゃありましたよ(笑)
幼い頃から「女の人とお年寄りには優しくしなさい」と教えてきたので、私にはあまりぶつけなかったんですけど、物には激しく当たっていましたね。
テレビなんか3台も壊れましたから。
相手にしても仕方ないので、時期が来れば収束するだろうと思っていました。
それよりも「テレビはどうしよう」と(笑)

今はお仕事は?

引き続き貿易の仕事をしながら、自宅で美容関係のサロンを経営しています。

息子さんとは一緒に暮らしてる?

高校から、野球で山梨の学校に入学して寮生活をしてました。大学行ってからも1人暮らしなので、16歳から離れて暮らしています。
1度戻ってきて、2年前にまた1人暮らしに戻りました。自分で仕事を頑張っているので、すごいなと思って見ています。
(息子さんはなでしこTOKYOに入社され独立を目指して頑張ってくれています。)

シングルマザーで大変だったことは?

悩んだことですか…保育園から小学校、中学校、高校と悩んでいたのかもしれないけど、あの時は必死だったので、思い出せないですね。
お金もね、本当に大変だったと思うんだけど、1つ1つのことは思い出せないです。それほど必死だったんだなと思います。
息子が入院した時に、質屋に行った記憶はあります。
電化製品持って行ったら、質屋のおじさんに「いまどき、こんなもの持ってくる人いねーよ?」笑われたのを覚えています(笑)

今後については何か考えていることはありますか?

これから、もう一度スタートラインに立って頑張れることを見つけたいと思ってます。じっとしていることが苦手で、仕事をしている時がいちばん楽しいし充実感を味わえます。
私の人生はもう折り返していますけど、やっぱり新しいことしたいですよね。
何か面白いことがあれば教えてください(笑)

「なでしこTOKYO」代表の宮内より

Kさんの息子さんの紹介で、Kさんにお話を伺う機会をいただきました。
息子さんは、弊社で頑張ってくれています。 息子さんについて言うと、20〜30代にした苦労は、その後の人生の大きな糧になると思うんです。
息子さんは独立し法人化して仲間とやって行きたいと強い気持ちを持っています。

とても真面目で、新しいことを吸収したいという気持ちが強く、何か一本筋が通っているように感じるのですが、それはきっと、Kさんの背中を見て感じ取ってきたからこそなんだなと、今日、感じることができました。

私も全力で応援していきます。ありがとうございました。

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シンママライフを運営するなでしこTOKYOは、女性に特化した配達会社です。
シングルマザーが多く在籍しており子育てをしながら希望に応じた働き方が可能です。
コロナの影響で宅配の仕事はすごく増えており、力仕事ではないため女性でも長く続けられる仕事です。

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