妊娠をきっかけに助産師になったシングルマザーのお話~後編~
引き続き、「シンママライフ」を運営する「なでしこTOKYO」代表の宮内がインタビューします。
胎児教育から妊活教育、お母さんの胎内環境の改善をするために食事指導までもこなす助産師の淺乃和代さんは、ご自身もシングルマザーとしてお子さんを育ててこられました。
前編に続き後編では、淺乃さんがシングルマザーとして育児で取り組んできたこと、母親教育を行う淺乃さんから見たシングルマザーのあり方について迫ります。
宮内
前編で、幸せな母親でいるためにはパートナーとの関係性も大切とおっしゃっていましたが、淺乃さんが結果として離婚を選択されたのはなぜですか。
淺乃さん
娘が17歳の時に離婚しました。離婚を考え始めてから離婚するまでに5年かかりました。 助産師を目指したのは長女が小学生の時です。
元夫とは歳の差もあったせいか、対等な夫婦関係ではないと感じることが多く、また、そう感じるからこそ感情を押し留めていたのですが、ある日、我慢を重ね過ぎたのかパニック障害になってしまいました。
そんな時、私のことを心配した子ども達が薬を持ってきてくれるんです。そんな健気な姿を見て、このままだと娘を不幸にしてしまうと思って離婚を決意したんです。
シングルマザーとしての子育てとは
宮内
既に助産師として活躍されていた時期だと思いますが、離婚してシングルマザーとなった時から、子育てで意識してきたことはありますか。
淺乃さん
“自分で考えて、自分で決めて、自分で行動に移せる自立した子”に育って欲しいと思いながら子どもと接してきました。意識していたことは、日常の小さなことにおいても「ダメ」という言葉で片付けないことです。
宮内さん
「ダメ」って叱ることは良くないと分かっていながらも、ついつい…簡単な方法をとってしまいます…
淺乃さん
誰しもそうだと思うのですが「躾のためなら叱ってもいい」と自分を正当化しているところがあるんですよね。
でも、その子が生まれた頃は、存在してくれるだけでいいと思っていませんでしたか。
その純粋な気持ちを根底に置きながら「いいこだね」「かわいいね」といった言葉をかけ続けることが大事です。もちろん、母親にだって感情があるので綺麗事だけでは済まされない時もありますが(笑)
宮内
これを読んでいる人の中には、シングルマザーになった後の子育てに不安を感じて婚姻関係を続けている人もいらっしゃると思うのですが、淺野さんは離婚後、お子さんとの関わり方で大きく変わったことはありますか。
淺乃さん
子ども達の様子を振り返ってみると、男親がいないかどうかは関係ないと感じます。子どもは男親がいないことで不安になるのではなく、お母さんのスタンスで不安になるのではないかなと。
娘は仕事をしていてくれて良かったと私に言ってくれていて、特に長女は、助産師の私を見ていたからなのか看護師の道を選びました。お母さんが社会の中でどう生きているかを見せてあげる…これだけでいいと思っています。
宮内
いつも一緒にいてあげられないから、その分、しっかりと背中を見せてあげるということですね。
淺乃さん
ご主人との間に距離がありながらも依存している母親を見るより、一緒に過ごせない時間があっても母親の背中をよく見せてあげる方が、しっかり存在を感じてくれると思います。そのために肌と肌を合わせて抱きしめてあげることも大事です。
離婚夫婦の3分の1の第1子は3歳以下と言われています。3歳以下の子どもの養育権は母親が持つことが多いので、幼い子どもを持つシングルマザーはどんどん増えているようです。
宮内
3歳以下の子を抱えたシングルマザーは、子育てと仕事とに挟まれて精神的に厳しい状況も多いのだと思いますが、淺乃さんはそういう状況に直面しているお母さんに何とアドバイスしますか?
淺乃さん
私の場合、子どもは比較的大きかったのですが「妊活から母親になるまで、一貫教育ができる大学を作ること」が心の支えになりました。母親としての軸と、ひとりの人間としての軸とがあると、息が詰まった時に乗り越えやすいのかもしれないです。
自然体でいられる幸せを求めて
宮内
日々、命や親子愛、絆と向き合っている中で、淺乃さんご自身は恋愛や再婚などについて考えることはありますか。
淺乃さん
再婚はしたいと思っています。パートナーの存在はとても大きく、私にとって本当に大切だと実感する出来事があったからです。
以前、「死ぬ3週間前ワーク」というシミュレーションをして、最期の3週間をイメージしてみたんです。
最初の週は仕事のため。私が築いてきたことを伝え続けられる仕組みを残しておきたいと思いました。
次の週は娘たちのため。少なからず寂しい思いをさせたので、「いってらっしゃい」と「おかえりなさい」の言葉をかけるために家にいて、ご飯を作ってあげて、そしてママの味のレシピを残したいなと。
最後の週、最期の時を過ごしたいと思ったのは、意外にもパートナーだったんです。こういう仕事をしているので、血の繋がりよりも強い繋がりはないと思っていました。でも、人生を締め括る瞬間をイメージしたらパートナーの存在が浮かび、同時に涙が出てきたんです。
助産師としても親としても母性の大切さに重きを置いてきたのに、私がいちばん大事にしたいと思った存在はパートナーでした。
宮内
それは、子育ても終盤にさしかかり、お子さんとの関係が変化してきたからこそ見えてきた風景なんですかね。
淺乃さん
確かに子供が小さいと生活に追われるでしょうし、そういう気持ちを持ちづらいと思いますが、20年後を思い描いた時、隣にパートナーがいることは素敵なこと。
子どもからどう思われるのかも気になりますが、もしそういう人を求めているのであれば、パートナーはいた方がいいと私は胸を張って言えます。
自分の気持ちに蓋をすると、「ママはこんなに頑張っているのに」と、育児にも跳ね返ってしまう気もするんです。それに、子どもの成長は親が思うよりも早くて、ずっとはそばにいないですからね。
小さい時も大きくなった時も、子どもはママの笑顔を求めています。自身のことを未来から俯瞰して見て、今の自分についてじっくりと考えてみてください。ぼんやりと描いている「幸せになりたい」という希望に、新しい道が拓けるかもしれません。
30歳から再び学校に通い助産師になった淺乃さん。
淺乃さんは「ここまで」というラインを自分で引いて自身の可能性を狭めずに、助産師、シングルマザー、そして女性としても輝き続けています。
お子さんが自立へと向かっている今、パートナーのことを思い出し涙が溢れたことを素直に受け入れている横顔がとても印象的です。
今日もどこかで、妊娠前の女性に「妊勝朝食」をレクチャーし、元気な赤ちゃんを取り上げて、ニコニコと笑っていることでしょう。